アルフォンソ・アロンソ

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はアロンソ第二姓(母方の姓)はアラネギです。
アルフォンソ・アロンソ
Alfonso Alonso
ビトリア=ガステイス市長
任期
1999年7月4日 – 2007年6月16日
スペイン下院議員
任期
2008年3月9日 – 2016年10月17日
スペイン政府 保健・社会サービス・平等大臣
任期
2014年12月3日 – 2016年8月16日
個人情報
生誕Alfonso Alonso Aranegui
(1967-04-14) 1967年4月14日(57歳)
アラバ県ビトリア=ガステイス
政党国民党(PP)
出身校バスク大学

アルフォンソ・アロンソ・アラネギスペイン語: Alfonso Alonso Aranegui, 1967年4月14日 - )は、スペインアラバ県ビトリア=ガステイス出身の政治家。国民党(PP)所属。2014年から2016年にはマリアーノ・ラホイ首相率いる第1次ラホイ内閣で保健・社会サービス・平等大臣を務めた[1]

経歴

1967年4月14日、アラバ県ビトリア=ガステイスに生まれた。バスク大学ロマンス諸語法学の学位を取得し、大学卒業後には弁護士となった。

ビトリア=ガステイス市長時代

1996年5月31日にはビトリア=ガステイス市議会議員に就任した。1999年の地方自治体議会選挙には国民党(PP)の筆頭候補(市長候補)として臨み、1999年7月4日にはビトリア=ガステイス市長に就任した。2000年3月28日にはビトリア=ガステイス市長との兼任でスペイン下院議員に就任したが、市長の職務に専念するために2002年1月4日に下院議員を辞任した。2007年の地方自治体議会選挙で国民党はバスク社会党に敗れ、6月14日にはビトリア=ガステイス市長を退任した。2008年3月9日には再び下院議員に就任した。2016年10月17日まで下院議員を務めた。

第1次ラホイ内閣閣僚時代

2011年12月13日にはソラヤ・サエンス・デ・サンタマリーアから引き継ぎ、スペイン下院における国民党(PP)のスポークスパーソンに就任した。2014年には大規模汚職事件であるギュルテル事件(英語版)が明るみとなり、マリアーノ・ラホイ首相率いる第1次ラホイ内閣のアナ・マト(英語版)が保健・社会サービス・平等大臣を辞任した。2014年12月3日にはアロンソがマトの後任として保健・社会サービス・平等大臣に就任した。

国民党バスク州支部長時代

2015年10月15日には国民党バスク州支部長に就任し、2016年10月19日にはバスク州議会議員に就任した。2020年2月24日には国民党バスク支部長を退任した。

家族

母方の祖父であるマヌエル・アラネギ・イ・コルは、フランコ体制下の1957年から1966年までアラバ県議会議長を務めた人物である。父方の家系はサン・セバスティアン出身である。父親のラモン・アロンソは画家であり、1975年からテネリフェ島に居住している。テニス選手のホセ・マリア・アロンソマニュエル・アロンソは父方のおじである。

脚注

  1. ^ “Rajoy elige a Alfonso Alonso ministro de Sanidad y da peso político al Gobierno”. エル・ムンド (2014年12月3日). 2020年3月22日閲覧。

外部リンク

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  • Alfonso Alonso バスク州議会
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