ジョゼフ・デュプレシ
ジョゼフ・デュプレシ | |
---|---|
![]() 『自画像』1801年頃 | |
本名 | Joseph-Siffred Duplessis |
誕生日 | (1725-09-22) 1725年9月22日 |
出生地 | ![]() |
死没年 | 1802年4月1日(1802-04-01)(76歳没) |
死没地 | ![]() |
国籍 | ![]() |
テンプレートを表示 |
ジョゼフ・デュプレシ(Joseph-Siffred Duplessis, 1725年9月22日 - 1802年4月1日)は、フランスの画家。肖像画で有名。
生涯
南フランス、ヴォクリューズ県のカルパントラで生まれた。父親は医者で、アマチュア画家として知られていた。父親から絵を学んだ後、宮廷画家シャルル・ルブランの弟子のアンベール(Joseph-Gabriel Imbert:1666–1749)に学んだ。1744年から1747年の間はローマで、南フランス出身の画家ピエール・シュプレイラスの工房で修行し、南フランスの画家、クロード・ジョセフ・ヴェルネとも親しくなった。
カルパントラに戻り、リヨンでしばらく暮らした後、1752年頃、パリに移り、画家組合のアカデミー・ド・サン=リュック(Académie de Saint-Luc)の会員になった。肖像画家として知られるようになるのは1769年のサロン・ド・パリに作品を出展してからで、ドゥニ・ディドロに注目され、王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれた。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4d/Usdollar100front.jpg/250px-Usdollar100front.jpg)
1771年に宮廷画家に任じられ、宮殿にスタジオを与えられた。革命が始まるとカルパントラに避難した後、1796年からベルサイユの美術館の学芸員を務めた。1802年にベルサイユで亡くなった。
アメリカの100ドル紙幣のベンジャミン・フランクリンの肖像はデュプレシの肖像画が原画となっている。
ギャラリー
- 『クリストフ=ガブリエル・アレグレインの肖像』(1774年)ルーヴル美術館蔵
- 『ルイ16世の肖像』(1775年) ヴェルサイユ宮殿
- 『ルイーズ・マリー・ド・ブルボン=パンティエーヴルの肖像』(1777-78年)コンデ美術館
- ベンジャミン・フランクリン
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/Commons-logo.svg/30px-Commons-logo.svg.png)
ウィキメディア・コモンズには、ジョゼフ・デュプレシに関連するカテゴリがあります。
- 表示
- 編集