ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン (パルメラ公)

ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン
Pedro de Sousa Holstein
パルメラ公ペドロ・デ・ソウサ・ホルステイン
生年月日 (1781-05-08) 1781年5月8日
出生地 サルデーニャの旗 サルデーニャ王国トリノ
没年月日 (1850-10-12) 1850年10月12日(69歳没)
死没地 ポルトガル王国の旗 ポルトガル王国リスボン
配偶者 エウゲニア・フランシスカ・ザヴィエル・テレス・ダ・ガマ

在任期間 1834年9月24日 - 1835年5月4日
元首 マリア2世

在任期間 1842年2月7日 - 2月8日
元首 マリア2世

在任期間 1846年5月20日 - 10月6日
元首 マリア2世
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ペドロ・デ・ソウサ・ホルステインポルトガル語: Pedro de Sousa Holstein1781年5月8日 - 1850年10月12日)は、19世紀前半のポルトガル外交官政治家。同国初代首相。初代パルメラ伯爵、パルメラ侯爵、パルメラ公爵でもある。

生涯

1781年トリノで生まれる。ナポレオン1世に対するスペイン独立戦争のさなか、1808年バイヨンヌの会議においてペドロは「ポルトガル人はフランス皇帝の望むようにはならない」と伝えて名を上げた。1814年ウィーン会議にポルトガル全権大使として出席、スペインに奪われたオリベンサの返還を要求した。また1815年のパリ会議にも出席した。

その後、ロンドンに大使として駐在し、またブラジルの亡命政権で外交問題に対する国務長官に任命される。1820年にポルトガル本土で王室の帰還を求める運動が起こると、ブラジルに亡命中のジョアン6世に知らせて帰還を勧めた。1823年、パルメラ侯爵となりジョアン6世によって外務大臣および新憲法制定委員会の長に任命された。しかし、出来上がった憲法はあまりに自由主義的で、王はこれを承認しなかった。またドン・ミゲルなどの反動勢力に危険視されて、1824年に投獄されてしまった。後に釈放されると国務大臣となり、大使としてロンドンへ戻った。

1828年、ドン・ミゲルが王位を僭称した際(ポルトガル内戦)はポルトで反対勢力の側に立ち、仲間とともにイギリスへ亡命した。ドン・ミゲルはペドロに有罪判決を下してその財産を没収した。しかしブラジル皇帝ペドロ1世はペドロを娘マリア2世の後見人に任命し、ペドロはマリア2世の大使としてイギリス政府に働きかけた。1830年アゾレス諸島テルセイラ島で女王の摂政に任命された。またこの頃、イギリス海軍チャールズ・ネイピア船長と知り合い、ネイピアはマリア2世の自由主義勢力の指揮官になる。1832年、ペドロ1世自らがマリア2世の摂政となると、ペドロは外務大臣となってロンドンからドン・ミゲルに対抗した。1833年傭兵の一団を引き連れたネイピア船長とともにポルトへ渡り、ネイピアとテルセイラ公アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャともにアルガルヴェへの遠征に参加した。ネイピアがサン・ヴィセンテ岬での海戦で勝利した後、リスボンを占領し、内戦に勝利した。

その後、ペドロは新しい立憲君主制下のポルトガルで初代首相となり1834年9月24日から1835年5月4日まで務めた。また1842年2月の2日間首相となり、1846年にも5月から10月まで首相を務めるなど、生涯で3度首相となった。

1850年10月10日、パルメラ公爵となった。

王政期

ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1834.9.24-1835.5.4 / ヴィトリオ・デ・ソウサ・コーティーニョ1835.5.4-5.27 / ジョアン・デ・サルダーニャ1835.5.27-11.18 / ジョゼ・ジョルジェ・ロウレイロ1835.11.18-1836.4.20 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1836.4.20-9.10 / ジョゼ・ダ・ガマ・カルネイロ・エ・ソウザ1836.9.10-11.4 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1836.11.5-1837.6.1 / アントニオ・ディアス・デ・オリヴェイラ1837.6.2-8.10 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1837.8.10-1839.4.18 / ロドリゴ・ピント・ピサロ1839.4.18-11.26 / ジョゼ・トラヴァッソス・バルデス1839.11.26-1841.6.9 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1841.6.9-1842.2.7 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1842.2.7-2.8 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1842.2.9-1846.5.20 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1846.5.20-10.6 / ジョアン・デ・サルダーニャ1846.10.6-1847.4.28 / ジョアン・デ・サルダーニャ1847.12.18-1849.6.18 / アントニオ・ベルナルド・ダ・コスタ・カブラル1849.6.18-1851.4.26 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1851.4.26-5.1 / ジョアン・デ・サルダーニャ1851.5.1-1856.6.6 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1856.6.6-1859.3.16 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1859.3.16-1860.4.26 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1860.5.1-7.4 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1860.7.4-1865.4.17 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1865.4.17-9.4 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1865.9.4-1868.1.4 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1868.1.4-7.22 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1868.7.22-1869.8.11 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1869.8.11-1870.5.19 / ジョアン・デ・サルダーニャ1870.5.19-8.29 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1870.8.29-10.29 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1870.10.29-1871.9.13 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1871.9.13-1877.3.5 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1877.3.5-1878.1.29 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1878.1.29-1879.6.1 / アンセルモ・ジョゼ・ブラームカンプ1879.6.1-1881.3.25 / アントニオ・ロドリゲス・サンパイオ1881.3.25-11.14 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1881.11.14-1886.2.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1886.2.20-1890.1.14 / アントニオ・デ・セルパ・ピメンテル1890.1.14-10.14 / ジョアン・クリゾストモ1890.10.14-1892.1.17 / ジョゼ・ディアス・フェレイラ1892.1.17-1893.2.23 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1893.2.23-1897.2.7 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1897.2.7-1900.6.26 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1900.6.26-1904.10.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1904.10.20-1906.3.19 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1906.3.19-5.19 / ジョアン・フランコ1906.5.19-1908.2.4 / フランシスコ・ジョアキム・フェレイラ・ド・アマラル1908.2.4-12.26 / アルトゥル・アルベルト・デ・カンポス・エンリケス1908.12.26-1909.4.11 / セバスチオン・クストディオ・デ・ソウザ・テレス1909.4.11-5.14 / ヴェンセスラウ・デ・ソウザ・ペレイラ・デ・リマ1909.5.14-12.22 / フランシスコ・アントニオ・ダ・ヴェイガ・ベイラオ1909.12.22-1910.6.26 / アントニオ・テイシェイラ・デ・ソウザ1910.6.26-10.5

第一共和政

テオフィロ・ブラガ1910.10.5-1911.9.3 / ジョアン・シャガス1911.9.4-11.12 / アウグスト・デ・ヴァスコンセロス1911.11.12-1912.6.16 / ドゥアルテ・レイテ1912.6.16-1913.1.9 / アフォンソ・コスタ1913.1.9-1914.2.9 / ベルナルディノ・マシャド1914.2.9-12.12 / ヴィクトル・ウーゴ・デ・アセヴェド・コーティーニョ1914.12.12-1915.1.25 / ジョアキム・ピメンタ・デ・カストロ1915.1.25-5.14 / ジョゼ・デ・カストロ1915.5.17-11.29 / アフォンソ・コスタ1915.11.29-1916.3.15 / アントニオ・ジョゼ・デ・アルメイダ1916.3.15-1917.4.25 / アフォンソ・コスタ1917.4.25-12.8 / シドニオ・パイス1917.12.11-1918.12.14 / ジョアン・ド・カント・エ・カストロ1918.12.14-12.23 / ジョアン・タマグニニ・バルボサ1918.12.23-1919.1.27 / ジョゼ・レルヴァス1919.1.27-3.30 / ドミンゴス・ペレイラ1919.3.30-6.29 / アルフレド・デ・サ・カルドソ1919.6.29-1920.1.21 / ドミンゴス・ペレイラ1920.1.21-3.8 / アントニオ・マリア・バプティスタ1920.3.8-6.6 / ジョゼ・ラモス・プレト1920.6.6-6.26 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1920.6.26-7.19 / アントニオ・グランジョ1920.7.19-11.20 / アルヴァロ・デ・カストロ1920.11.20-11.30 / リベラト・ピント1920.11.30-1921.3.2 / ベルナルディノ・マシャド1921.3.2-5.23 / トメ・デ・バロス・ケイロス1921.5.23-8.30 / アントニオ・グランジョ1921.8.30-10.19 / マヌエル・マリア・コエーリョ1921.10.19-11.5 / カルルシュ・マイア・ピント1921.11.5-12.16 / フランシスコ・クーニャ・レアル1921.12.16-1922.2.6 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1922.2.6-1923.11.15 / アントニオ・ジネスタル・マシャド1923.11.15-12.18 / アルヴァロ・デ・カストロ1923.12.18-1924.7.6 / アルフレド・ロドリゲス・ガスパール1924.7.6-11.22 / ジョゼ・ドミンゲス・ドス・サントス1924.11.22-1925.2.15 / ヴィトリノ・ギマランエス1925.2.15-7.1 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.7.1-8.1 / ドミンゴス・レイテ・ペレイラ1925.8.1-1926.12.17 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.12.17-1926.5.30

ディタドゥーラ・ナシオナル

ジョゼ・メンデス・カベサダス1926.5.30-6.17 / マヌエル・ゴメス・ダ・コスタ1926.6.17-7.9 / アントニオ・オスカル・カルモナ1926.7.9-1928.4.18 / ジョゼ・フレイタス1928.4.18-1929.7.8 / アルトゥル・イヴェンス・フェラーズ1929.7.8-1930.1.21 / ドミンゴス・オリヴェイラ1930.1.21-1932.7.5

エスタド・ノヴォ

アントニオ・サラザール1932.7.5-1968.9.27 / マルセロ・カエターノ1968.9.27-1974.4.25

第三共和政

アデリーヌ・ダ・パルマ・カルルシュ1974.5.16-1974.7.18 / ヴァスコ・ゴンサルヴィシュ1974.7.18-1975.9.19 / ジュゼ・ピニェイル・ディ・アジヴェードゥ1975.9.19-1976.7.23 / マリオ・ソアレス1976.7.23-1978.8.29 / ノブリ・ダ・コシュタ1978.8.29-1978.11.22 / モタ・ピント1978.11.22-1979.7.7 / マリア・デ・ルルデス・ピンタシルゴ1979.7.7-1980.1.3 / フランシシュク・サ・カルネイル1980.1.3-1980.12.4 / ピント・パルセマン1981.1.9-1983.6.9 / マリオ・ソアレス1983.6.9-1985.11.6 / カヴァコ・シルヴァ1985.11.6-1995.10.28 / アントニオ・グテーレス1995.10.28-2002.4.6 / ドゥラン・バローゾ2002.4.6-2004.7.17 / サンタナ・ロペス2004.7.17-2005.3.12 / ジョゼ・ソクラテス2005.3.12-2011.6.21 / ペドロ・パッソス・コエーリョ2011.6.21-2015.11.26 / アントニオ・コスタ2015.11.26-2024.4.2 / ルイス・モンテネグロ2024.4.2-現在

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