ラートボト (ハプスブルク伯)

ラートボト・フォン・クレットガウ
Radbot von Klettgau
エティション家(のちのハプスブルク家

称号 ハプスブルク伯
死去 1045年
配偶者 イタ・フォン・ロートリンゲン(ドイツ語版)
子女 ヴェルナー1世(英語版)
父親 ランツェリン
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ラートボト・フォン・クレットガウドイツ語: Radbot von Klettgau 985年ごろ - 1045年)は、シュヴァーベン・オーバーライン地方のクレットガウのグラーフ(Graf)、ハプスブルク伯。ハプスブルク家の祖の一人であり、彼が建設したハビヒツブルク城が家名の由来となった。

生涯

ラートボトは、おそらくクレットガウの伯ランツェリンの次男で、グントラム金満公の孫であった。兄にシュトラースブルク司教ヴェルナー1世(ドイツ語版)がいる。1010年、ラートボトは、メッツ伯アダルベール2世とユーディト (シュヴァーベン大公コンラート1世の娘)の娘イタ・フォン・ロートリンゲン(ドイツ語版)と結婚した。1020年から1030年ごろにかけてハビヒツブルク城を建て、この頃にハプスブルク伯ヴェルナー1世(英語版)が生まれている。

1027年、ベネディクト会ムーリ修道院を成立させた。1045年、ラートボトは死去し、ヴェルナー1世がハプスブルク家を継いだ。

参考文献

  • http://genealogiequebec.info/testphp/info.php?no=114423 (accessed 9 June 2009)
  • http://genealogiequebec.info/testphp/info.php?no=170043 (accessed 9 June 2009)

外部リンク

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