全真

全真(ぜんしん、仁平元年(1151年) - 没年未詳)は、平安時代末期の天台宗藤原北家勧修寺流の出身で父は参議藤原親隆。母は平時信の娘。

母方の伯母にあたる平時子猶子となり、平氏政権の下で立身。治承2年(1178年)には権少僧都となる。時子が従二位であった関係から、世上「二位の法眼」と呼称された。

寿永2年(1183年)、平家一門の都落ちに従って西海に赴き、元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いにおいて伯父の平時忠らとともに捕虜となる。詮議の末に安芸国へと配流され、以後文治5年(1189年)に赦免されるまで同国にて過ごした。赦免後は帰洛し、大原に隠棲中の建礼門院徳子を訪問して「今日かくてめぐり逢ふにも恋しきは此の世隔てし別れなりけり」の一首を詠んだことなどが知られるが、その後の足跡については未詳。

歌人としても知られ、『玉葉和歌集』にその作が収録されている。

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