大友親著

 
凡例
大友親著
大友親著像(大智寺蔵)
時代 室町時代
生誕 不明
死没 応永33年11月29日(1426年12月27日[1]
別名 次郎
戒名 大恵寺殿玉庵道瑛庵主
官位 従五位下、式部大輔
幕府 室町幕府豊後筑後守護
氏族 大友氏
父母 父:大友氏継
孝親、親綱、直親、親繁
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大友 親著(おおとも ちかあき/ちかつぐ)は、室町時代中期の武将守護大名豊後国大友氏の11代当主。

生涯

叔父である10代当主・大友親世から家督を引継ぎ当主となった。豊後のみならず筑後国守護職も得て、勢力を広げた。室町期の大友氏に見られた両統迭立の伝統を継承し、家督を親世の子・持直に譲った。のちに持直が足利義教に反抗すると持直に味方し、足利義教方についた子の親綱と戦ったという。

偏諱を受けた人物

  • 大野基(おおの あきもと)- 豊後大神氏の一族、大野氏を継ぐ(著基自身の出自については不明)。
  • 魚返成(おがえり あきなり)- 豊後清原氏、山田通綱の末裔・魚返忠成の子。
  • 斎藤利(さいとう あきとし)- 子孫に斎藤鎮実を輩出した豊後斎藤氏の当主。親著・親綱の二代に仕える。子の綱実(つなざね)は親綱から偏諱を賜る。
  • 富来茂(とみき あきしげ)
  • 古庄景(ふるしょう あきかげ) - 大友親綱の子、すなわち親著の孫にあたる。古庄氏に養子入りしたものと思われる。

脚注

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  1. ^ 『新訂寛政重修諸家譜2』
抱き杏葉紋豊後大友氏第11代当主(1401年? - 1423年)
※後に高家として再興