李淑妃

淑妃李氏(しゅくひ りし、1343年以降[1] - 1384年)は、洪武帝の妃。寿州の人。

生涯

明の初年に戦死した広武衛指揮官の李傑の娘である。

明の洪武17年(1384年)、淑妃に封ぜられ、後宮のことをつかさどった。しかしまもなく亡くなった。外史によると、洪武帝の疑いと不信を買い、迫られて自ら縊死した。

なお洪武帝(朱元璋)の太子朱標・次子朱樉・三子朱棡は洪武帝正妻の馬皇后の子とされているが、生みの親は淑妃であると考えられている[2]

伝記資料

  • 『明太祖実録』
  • 明史
  • 『追贈驃騎将軍府事李公(李傑)神道碑銘』
  • 寺田隆信『永楽帝』中央公論社中公文庫〉、1997年。ISBN 978-4062921480。 
  • 檀上寛『永楽帝―中華「世界システム」への夢』講談社〈講談社選書メチエ〉、1994年。ISBN 978-4062921480。 
    • 『永楽帝―華夷秩序の完成』講談社〈講談社学術文庫〉、2012年。ISBN 978-4480510051。 
    • 『永楽帝―華夷秩序の完成 電子書籍版』講談社、2012年。ISBN 978-4062921480。 
  • 荷見守義『永楽帝 明朝第二の創業者』山川出版社〈世界史リブレット人〉、2016年。 

脚注

  1. ^ 李傑の生年(1331年)による。
  2. ^ 荷見 2016, p. 13.
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。

  • 表示
  • 編集