桜井三郎

桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1960年4月8日)は日本政治家、内務官僚熊本県知事(官選第34代、公選初代-第3代)、参議院議員(1期)。位階正三位医学者、参議院議員の高桑栄松は弟。

来歴・人物

新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の長兄として生まれる。旧制新潟県立巻中学校、旧制第四高等学校を経て、1926年京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、島根県書記官警察部長、警視庁部長・消防部長、徳島福岡両県の内政部長などを歴任。戦中は熊本県で官選知事を務め、1947年の熊本県知事選挙に出馬。細川隆元らを退けて当選した。この際、GHQの幹部がの枝を持って投票所を回り、桜井を暗に支持する選挙干渉があったという。

1951年の2選目は上塚司との一騎討ちとなり競り勝った。3選目の1955年は任期を3ヶ月残して急きょ辞任し、他の候補者は選挙準備が整わずに圧勝した。4選を目指した1959年は激戦の末に1万票差で自民党公認の寺本広作(前参議院議員)に敗れた。同年、熊本県地方区から参議院議員選挙に自民党公認で出馬し当選。在任中の1960年4月8日に脳溢血のため死去、61歳。 死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲四等からの昇叙)、正五位から従三位に叙され[1]、さらに正三位に位一級追陞[2]。墓所は多磨霊園(12-1-25)。

脚注

  1. ^ 『官報』第9993号280頁 昭和35年4月14日号
  2. ^ 『官報』第9994号302-303頁 昭和35年4月15日号
公職
先代
新設
熊本県の旗 熊本県知事
公選第初 - 3代:1947年 - 1959年
次代
寺本広作
官職
先代
永井浩
熊本県の旗 熊本県知事
官選第34代:1946年 - 1947年
次代
鈴木直人
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
定数1
第19回以降)
奇数回
偶数回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
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