瓜生正美

瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日[1] - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。

福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退[1]

人物

  • 1944年学徒出陣兵役に就いたが、戦後は復員となり、福岡を拠点に火野葦平らと劇団「かもめ座」を旗揚げ、演劇活動を始める。1951年に東京を拠点に「東京創作座」を経て1964年に俳優・演出家併せて8人が青年劇場を結成し、初代代表として1997年まで務める。同劇団の脚本・演出家を担当したが、代表を退き、顧問として務めていた。
  • 2005年本多劇場流山児★事務所公演「戦場のピクニック・コンダクタ」では、80歳で初舞台を踏み話題を集めた。
  • 2021年6月27日10時55分、老衰のため東京都内の自宅で死去[2]。96歳没。

役職

脚注

  1. ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.534
  2. ^ 劇作家の瓜生正美氏死去 - 時事ドットコム 2021年7月1日

外部リンク

  • 読売新聞(2005年6月1日)
  • 呉将軍の足の爪
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。

  • 表示
  • 編集