真田信重

曖昧さ回避 真田信繁」とは別人です。

真田 信重(さなだ のぶしげ、慶長4年(1599年) - 慶安元年2月23日(1648年4月15日))は、信濃埴科藩第2代藩主。真田信之の三男。母は本多忠勝の娘・小松姫信吉信政の弟。通称は隼人。正室は鳥居忠政の六女。

父の松代転封に伴い、7000石の旗本になる。寛永16年(1639年)、兄信政が沼田藩主となったのを受け、その旧領1万石を譲られて埴科藩第2代藩主となる。

武蔵鴻巣にて客死した。後嗣なきため、埴科藩は断絶。知行(1万7000石)は松代藩主である父・信之に還付された。墓所は埼玉県鴻巣市の勝願寺。また、没同年に生前に帰依していた西楽寺に霊屋が造られた。なお、正室も後を追うように翌年の12月9日に没している。

真田氏埴科藩2代藩主 (1639年 - 1648年)
  • 真田信政1617-1639
  • 真田信重1639-1648
  • 無継嗣廃藩、所領は松代藩に吸収
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