行政主席

比嘉秀平行政主席(前列右から3番目)と局長たち

行政主席(ぎょうせいしゅせき、:Chief Executive of the Government of the Ryukyu Islands)は、琉球政府行政府の長である。琉球政府の行政権は行政主席に属するとされたが、実際の権限は米国民政府が掌握しており、行政主席の権限が制約された状態であった。この状態が日本へと返還されるまでの間続いた。

地位と職務

米国民政府布告第13号「琉球政府の設立」及び米国民政府布令第68号「琉球政府章典」により定められた。

地位

行政府を代表する独任制の機関であり、琉球政府公務員法(1953年立法第4号)の適用がない特別職琉球政府公務員である。琉球政府や外国政府のいかなる役職との兼職も禁じられている。

就任資格

満35歳以上で、少なくとも5年間居住し、かつ戸籍を持っている者。また、贈収賄偽証またはその他破廉恥罪を犯していない者が就任資格とされた。

職務・権限

  • 行政各局の管理運営に責任を負い、米国民政府の認可のもとに職員を任命する。
  • 立法の委任がある場合には、その施行のために必要な規則を定めることができる。

議会との関係

行政主席は、立法院の立法案(予算案等も含む)に対して異議のある場合は、理由を明示して立法院に返送することができる(いわゆる拒否権の行使)。ただし、立法院の3分の2以上の多数で再議決された場合は、米国民政府の民政副長官(後の琉球列島高等弁務官)の決定を待たなければならない。

また、行政主席は法案提出権や議会解散権を持たないなど、都道府県知事市町村長の権限と大きく異なるところがある。

選出方法の変遷

  • 1952年 - 57年 米国民政府による直接任命
  • 1957年 - 61年 立法院の代表者に諮って、米国民政府が任命
  • 1962年 - 65年 米国民政府の受諾できる者を立法院が指名し、米国民政府が任命
  • 1965年 - 68年 立法院議員による間接選挙
  • 1968年 - 72年 住民による直接選挙

行政主席の一覧

主席 所属政党 在任期間 備考
001 比嘉秀平 沖縄社会大衆党 1952年4月1日
- 1952年8月31日
7000400000000000000♠4年 + 207日
0(1) 琉球民主党 1952年8月31日
- 1956年10月25日
在任中に死去
00 (欠員) 1956年10月25日
- 1956年11月11日
17日
002 當間重剛 無所属 1956年11月11日
- 1959年11月10日
7000200000000000000♠2年 + 364日
003 大田政作 沖縄自由民主党 1959年11月11日
- 1964年10月30日
7000400000000000000♠4年 + 354日
004 松岡政保 沖縄自由民主党 1964年10月31日
- 1964年12月
7000400000000000000♠4年 + 30日
民主党 1964年12月
- 1967年12月
党名改称
沖縄自由民主党 1967年12月
- 1968年11月30日
党名改称
005 屋良朝苗 無所属 1 1968年12月1日
- 1972年5月14日
7000300000000000000♠3年 + 165日

参考文献

  • 照屋栄一『沖縄行政機構変遷史 明治12年~昭和59年』照屋栄一、1984年8月15日。NDLJP:9775065。 

関連項目

外部リンク

  • 琉球文化アーカイブ 琉球政府の時代
  • 沖縄県公文書館
  • ウィキメディア・コモンズには、行政主席に関するカテゴリがあります。
琉球政府の歴代行政主席・行政副主席
行政主席

比嘉秀平(1952–1956) 当間重剛(–1959) 大田政作(–1964) 松岡政保(–1968) 屋良朝苗(–1972)

行政副主席

泉有平(1952–1953) 与儀達敏(–1956) 神村孝太郎(–1957) 大田政作(–1959) 瀬長浩(–1964) 小波蔵政光(–1967) 小渡三郎(–1968) 赤嶺義信(–1968) 知念朝功(–1971) 宮里松正(–1972)

括弧書きは在任期間
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