1681年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1660年代 1670年代 1680年代 1690年代 1700年代 |
年: | 1678年 1679年 1680年 1681年 1682年 1683年 1684年 |
1681年(1681 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支 : 辛酉
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 後黎朝 : 正和2年
- 仏滅紀元 : 2223年 - 2224年
- イスラム暦 : 1091年 - 1092年
- ユダヤ暦 : 5441年 - 5442年
- ユリウス暦 : 1680年12月22日 - 1681年12月21日
カレンダー
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できごと
- 1月28日(延宝8年12月9日) - 日本で酒井忠清が大老を解任される。
- 3月4日 - イングランド王チャールズ2世がウィリアム・ペンにニュージャージー西部の土地を与える(現在のペンシルベニア)。
- 10月 - 清で三藩の乱(1673年-)が終結する。
- 11月9日(延宝9年9月29日) - 日本で改元が行われる。(延宝から天和)
- インド洋のモーリシャスに生息していた飛べない鳥ドードーが絶滅。
- イングランドの下院、庶民院で総選挙(英語版)が施行される。
誕生
「Category:1681年生」も参照
- 3月24日 - ゲオルク・フィリップ・テレマン、作曲家(+ 1767年)
- 4月11日 - アンヌ・ダニカン・フィリドール(Anne Danican Philidor)、フィリドール家の音楽家、コンセール・スピリチュエル創設者(+ 1728年)
- 6月18日 - フェオファン・プロコポヴィチ(Feofan Prokopovich)、大主教、政治家(+ 1736年)
- 6月26日 - ヘドヴィグ・ソフィア、スウェーデン王女、ホルシュタイン=ゴットルプ公フレデリク4世公妃(+ 1708年)
- 8月 - ヴィトゥス・ベーリング、探検家(+ 1741年)
- 8月21日 - エルンスト・フリードリヒ1世(Ernest Frederick I, Duke of Saxe-Hildburghausen)、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公(+ 1724年)
- 9月28日 - ヨハン・マッテゾン[1]、作曲家、音楽理論家(+ 1764年)
- 11月28日 - ジャン・カヴァリエ(Jean Cavalier)、カミザールの乱指導者(+ 1740年)
- 12月11日 - エマヌエーレ・ダストルガ、作曲家(+ 1736年)
- 12月14日 - ジュゼッペ・ヴァレンティーニ、ヴァイオリニスト、作曲家(+ 1753年)
- 間瀬正辰、赤穂浪士(+ 1703年)
- 絵島、大奥の御年寄、江島生島事件の中心人物(+ 1741年)
- ベンジャミン・レイ、慈善家、奴隷制廃止論者(+ 1760年)
- 永谷宗円、青製煎茶製法開発者、永谷園創業者永谷嘉男の先祖(+ 1778年)
死去
「Category:1681年没」も参照
- 3月12日 - フランス・ファン・ミーリス、画家(* 1635年)
- 5月25日 - ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ、劇作家(* 1600年)
- 6月9日 - ウィリアム・リリー(William Lilly)、占星術師、神秘主義者(* 1602年)
- 6月28日 - マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ、フランス王ルイ14世の公妾(* 1661年)
- 7月1日 - オリヴァー・プランケット(Oliver Plunkett)、アーマー大主教(* 1629年)
- 7月4日(延宝9年5月19日) - 酒井忠清、大老(* 1624年)
- 7月9日(延宝9年5月24日) - 片倉景長、仙台藩伊達氏国家老(* 1630年)
- 8月17日 - ニコン、モスクワ総主教(* 1605年)
- 9月16日 - ジャハナラ・ベーガム(Jahanara Begum)、ムガル帝国皇女(* 1614年)
- 10月7日 - ニコラエス・ハインシウス1世(Nikolaes Heinsius the Elder)、古典学者、詩人(* 1620年)
- 10月22日 - ベネデット・フェラーリ、作曲家(* 1603年?)
- 12月8日 - ヘラルト・テル・ボルフ、画家(* 1617年)
- 12月12日 - ヘルマン・コンリング(Hermann Conring)、学者(* 1606年)
- 12月20日(天和元年11月11日) - 慧林性機、中国から来日した黄檗宗の僧(* 1609年)
- ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリーニ(Giovanni Domenico Cerrini)、画家(* 1609年)
- フランチェスコ・コルベッタ(Francesco Corbetta)、作曲家、ギタリスト、音楽教師(* 1615年頃)
- ジャック・ガファレル(Jacques Gaffarel)、哲学者、占星術師(* 1601年)
脚注
注釈
出典
[脚注の使い方]
- ^ Johann Mattheson German musician and writer Encyclopædia Britannica
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1681年に関連するカテゴリがあります。