8区 (パリ)

パリ・8区の位置
地図
パリ・8区の位置

パリ8区 (8く、: 8e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第8区、パリ8区ともいう。市の中央のやや西寄りに位置しており、1区の西側に隣接している。セーヌ川の北岸に面している。

概要

パリの8区は、市の中央のやや西寄りにある行政区。「エリゼ区 (Arrondissement de l'Élysée)」と呼ばれることもある [2]セーヌ川の北岸に面しており、アンヴァリッド(廃兵院)の対岸にあたる。住宅面積が低いので人口は39,314人 (1999年)で、20区の中では5番目に少ない(人口の推移等詳細については後述)。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその8番目にあたることから、「8区」と名づけられた。7区とともにフランスの政治・行政の中心であり、フランス大統領官邸エリゼ宮殿)、内務省(ボーヴォ館)等があるフォーブール=サントノレ界隈は、フォーブール=サンジェルマン界隈と共に旧王侯貴族の大邸宅が建ち並ぶ地域にあたる。また、世界的に有名な凱旋門マドレーヌ寺院シャンゼリゼ大通りコンコルド広場などがある。

なお、セーヌ川に沿った地域は、「パリのセーヌ河岸」として世界遺産に登録されている。

地理

パリ・8区の詳細地図
シャンゼリゼ通り

8区は、パリ中央部のやや西寄りに位置しており、セーヌ川の北岸に面している[3]。面積は、3.88 平方キロメートル。

北は、同じパリの行政区である17区に接しており、北東の角はクリシー広場となっている。南は、セーヌ川を挟んで7区に接している。東は、マドレーヌ寺院付近の以北は9区に、以南は1区に接している。西は、シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場)以北は17区に、以南は16区に接している。

隣接する自治体(行政区)

地区(カルチェ)

パリ・8区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。8区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

  • 29 - シャンゼリゼ地区 (Quartier des Champs-Élysées)
  • 30 - フォブール=デュ=ルール地区 (Quartier du Faubourg-du-Roule)
  • 31 - マドレーヌ地区 (Quartier de la Madeleine)
  • 32 - ウロップ地区 (Quartier de l'Europe)

住民

人口

8区の人口は、1891年に107,485人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年には半分以下の39,314人となった。20区のうちで5番目に人口が少なく、1990年以降は、パリの人口の1パーセント台で推移している。2005年の推計では38,700人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。

人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の半分以下の10,130人となっている。20区のうちで1区に次いで2番目に人口密度が低く、パリの平均人口密度の0.4倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 75,796 1,851,792 4.09% 19,530 21,303
1891年 107,485 2,447,957 4.39% 27,695 28,161 人口がピークに達する。
1954年 80,827 2,850,189 2.84% 20,826 32,788
1962年 74,577 2,790,091 2.67% 19,216 32,097
1968年 67,897 2,590,771 2.62% 17,495 29,804
1975年 52,999 2,299,830 2.30% 13,656 26,457
1982年 46,403 2,176,243 2.13% 11,956 25,035
1990年 40,814 2,152,423 1.90% 10,516 24,761
1999年 39,314 2,125,246 1.85% 10,130 24,449
2005年 38,700 2,166,200 1.79% 9,972 24,920 人口は推計。

歴史

政治・行政・司法

主な官公庁・公共機関

パリ8区役所
  • 大統領官邸 (Palais de l'Élysée)
    • エリゼ宮殿を使用している。フォーブール=サントノレ通り沿いにある。
  • 内務省 (Ministère de l’Intérieur)
    • フォーブール=サントノレ通り界隈、ボーヴォ広場1番地 (1 Place Beauvau) にある。
  • 第8区役所 (Mairie du 8e arrondissement)

軍事

ロワイヤル通り、コンコルド広場からの眺め。
同広場に面する左側建物の(画像に映らない)西側部分がオテル・ド・クリヨン (Hôtel de Crillon) 、(画像に映らない)同中央部が社交サロンの自動車倶楽部 (Automobile Club de France) と国際自動車連盟、(画像に映る)同東側部分が1920年以降、諸法人本社等が入るコワラン館 (Hôtel de Coislin) になる。右側建物は、オテル・ド・ラ・マリーヌ (Hôtel de la Marine) と呼ばれ、2015年まで仏海軍参謀本部が入居していた。
  • 海軍参謀本部 (État-major de la Marine)
    • コンコルド広場前の歴史的建造物 オテル・ド・ラ・マリーヌ (Hôtel de la Marine) に置かれていた。2015年、15区ポルト・ド・セーヴルに完成した、米国のペンタゴンをモデルにしたヘキサゴン状・六角形状建物エグザゴーヌ・バラール (Hexagone Balard) に移転した。

外国の施設

大使館
  • アメリカ大使館(Ambassade des États-Unis) - エリゼ宮殿の東側近く、ガブリエル大通り (Avenue Gabriel) 2番地にある。
  • イギリス大使館(Ambassade du Royaume-Uni) - エリゼ宮殿の東側近く、フォーブール=サントノレ通り (Rue du Faubourg-Saint-Honoré) 35番地にある。
    • 現在地は1814年以来、英大使館に用いられている。元々は、ルイ15世側近2代目シャロ公爵アルマン・ド・ベチュヌにより1720年代に建造されたシャロ館 (Hôtel de Charost) の一部にあたる。同通り39番地にあるシャロ館には1803年から、ナポレオン・ボナパルトの妹ポーリーヌ・ボナパルトが居住していたことから、全体でパレ・ボルゲーゼ (Palais Borghèse) とも呼ばれ、英大使館同様に1814年から英大使公邸に用いられている。
      英大使館及び大使公邸に用いられるようになった経緯は、ナポレオン戦争敗戦後の1814年、窮したポーリーヌが駐仏大使の任に5ヶ月程あたったウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーに売却したため。この売却代金はポーリーヌからナポレオンに渡り、すぐ後の百日天下の際の必要資金の一部に用立てられた[4]。ちなみに、英劇作家サマセット・モームは、同在仏大使館内で生まれた(死地はニース)。
  • イスラエル大使館(Ambassade d'Israël) - ラブレ通り (Rue Rabelais) 3番地にある。
  • カナダ大使館Ambassade du Canada) - グラン・パレの西方、モンテーニュ大通り (Avenue Montaigne) 35番地にある。
  • スペイン大使館(Ambassade d'Espagne) - ジョルジュ=サンク大通り (Avenue George-V) にある。
  • 中国大使館(Ambassade de Chine) - ジョルジュ=サンク大通り (Avenue George-V) にある。
  • ドイツ大使館(Ambassade d'Allemagne) - フランクラン=ローズヴェルト大通り (Avenue Franklin-D.-Roosevelt) にある。
  • 日本大使館Ambassade du Japon) - シャルル・ド・ゴール広場の近く、オッシュ大通り (Avenue Hoche) 7番地にある。
  • ノルウェー大使館(Ambassade de Norvège) - バヤール通り (Rue Bayard) にある。
  • ブラジル大使館(Ambassade du Brésil) - クール・アルベール=プルミエ (アルベール1世並木道, Cours Albert-Ier) にある。
その他
  • ジェトロ(日本貿易振興機構)パリ事務所(JETRO Paris) - 1963年開設。シャンゼリゼ界隈ベリー通り (Rue de Berri) 27番地にある[5]

経済

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主な企業

主な店舗・商業施設

以下のお店以外にも、フォーブール=サントノレ通り、モンテーニュ大通り界隈に、ブティック等多くの高級ブランドが本店等を置いている。

ファッション
  • エルメス本店 (Hermès) - フォーブール=サントノレ通り (Rue du Faubourg-Saint-Honoré) 24番地にある。
  • クロエ本店 (Chloé) - プレタポルテの草分けないし生みの親。モンテーニュ大通り (Avenue Montaigne) 50番地、及び1区サントノーレ通り (Rue Saint-Honoré) 253番地にある。
  • ディオール本店 (Christian Dior) - グラン・パレの西方、モンテーニュ大通り30番地にある。その他8区ロワイヤル通り (Rue Royale) 25番地等に店舗があり、同モンテーニュ25番地オテル・プラザ・アテネ内にはエステのディオール・アンスティテュ (Dior Institut au Plaza Athénée) がある。また、日本大使館もある8区オッシュ大通り (Avenue Hoche) 33番地にはパルファン・クリスチャン・ディオールがある。
  • ニナ・リッチ本店 (Nina Ricci) - グラン・パレの西方、モンテーニュ大通り39番地にある。
  • バレンシアガ本店 (Balenciaga) - ジョルジュ=サンク大通り (Avenue George-Ⅴ) 10番地にある。
  • レクレルール (L'Eclaireur) - シャンゼリゼ通り (Avenue des Champs-Élysées) 26番地の他、フォーブール=サントノレとオテル・ド・クリオンとに挟まれたボワシー=ダングラス通り (Rue Boissy d'Anglas) 10番地にあるセレクトショップマレ地区の3区セヴィニエ通り (Rue de Sévigné) 40番地などにお店がある他 、2009年まで東京の南青山店があった。
  • アレクサンドル ドゥ パリ (Alexandre de Paris) - オートコワフュール[6]。1957年に8区フォーブール=サントノレ通り120番地に開店。現在は8区シャンゼリゼ通り至近マティニョン大通り (Avenue Matignon) 3番地や17区 パレ・デ・コングレ等にサロンがある。2017年には東京の南青山5丁目と銀座に直営サロンを開店。現在は、ヘアアクセサリーブランドやコスメ(ロレアル製造)も展開。
  • ラリック (Lalique) - 1885年にヴァンドーム広場ジュエリーブランドから始まった高級クリスタルガラスやジュエリー店。1935年からロワイヤル通り11番地に店舗を構える。
パティスリー・食料品店
  • フォション (Fauchon) - 1886年、マドレーヌ広場 (Place de la Madeleine) 界隈で開店したパティスリーから紅茶、デリカテッセンまでの高級食材店。また2018年9月、同広場界隈マルゼルブ大通り (Boulevard Malesherbes) 4番地の元の本社創業地に初のホテルであるフォション・ロテル (Fauchon L'Hôtel) を開業した。
  • ラデュレ (Ladurée) - ロワイヤル通り16番地にある本店の他、シャンゼリゼ大通り (Avenue des Champs-Élysées) 75番地や、ロワイヤル通り近隣の1区サントノレ通り界隈カスティリオンヌ通り (Rue de Castiglione) 14番地、6区ボナパルト通り (Rue Bonaparte) 21番地等にある。東京の青山、新宿銀座など日本も含めた海外店舗がある。
  • ラ・メゾン・デュ・ショコラ (La Maison du Chocolat) - 1977年10月、フォブール・サントノレ通り225番地のカーブ・コゼットがあった場所、サル・プレイエル向かいにて開店した。。東京の青山や銀座、丸の内有楽町)など日本も含めた海外店舗がある。
  • ピエール・エルメ・パリ (Pierre Hermé Paris) - 老舗のラデュレなどと同様マカロン等で知られる"東京発"のピエール・エルメの店鋪。6区ボナパルト通り72番地や15区ヴォージラール通り185番地、シャンゼリゼ通り、2区オペラ大通り、16区ポール=ドゥメール大通り・・等に店舗がある。日本も含め海外展開をしている。
  • マリアージュ・フレール (Mariage Frères) - マレ地区界隈4区ブール=ティブール通りに本店がある紅茶等の茶葉専門店。パリ市内で多店舗展開しているが、8区内だとマドレーヌ広場 (Place de la Madeleine) 17番地やフォーブール=サントノレ通り260番地に店舗がある。日本も含め海外展開をしている。

その他

教育

リセ・シャプタル (Lycée Chaptal)

大学等

高等学校

  • リセ・シャプタル(Lycée Chaptal

その他

宿泊施設

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主な宿泊施設

  • オテル・ド・クリヨンHôtel de Crillon
    • 世界中の国王や著名人が訪れる高級ホテル。コンコルド広場に面している[7]。1758年建造。ルイ15世の病状回復を記念して、同広場からマドレーヌ寺院に続くロワイヤル通りと、同通りを挟んで右に海軍館、左に造幣館が建造された。これら通りから建物までアンジュ=ジャック・ガブリエルが制作。造幣館が6区コンティ河岸に移転した時、造幣館は四つに分割された。その内、真ん中の列柱建物部分はガブリエルから引き継いだピエール=ルイ・モロー=デプル (fr) が制作を継承し、後に国際自動車連盟が入居。ボワシー=ダングラス通り側最左側のオーモン館 (オテル・ドーモン) はルイ=フランソワ・トゥルアール (fr) が制作し、後にオテル・ド・クリオンが入居した。
      オテル・デュ・ルーヴルにより、1909年3月からホテルとして開館したのがオテル・ド・クリオンの始まり。
      王妃マリー・アントワネットは、オーモン館にピアノのレッスンに通っていたが、フランス革命期の1793年、ルイ16世共々、同広場オーモン館のすぐ目の前でギロチン刑に処せられた。
      1778年2月6日、アメリカ独立戦争最中初めてアメリカを独立国家として認めた仏米同盟条約がこの館で結ばれた。1919年には、オテル・ド・クリヨンは、パリ講和会議でのウッドロウ・ウィルソンら米代表団の宿泊場所にもなった。
      19世紀半ば、オーモン館の西側至近ガブリエル大通り (Avenue Gabriel) 1番地、現在のエスパス・カルダン (Espace Cardin) の地に、カフェ・コンセール乃至ナイトクラブ形態のレストラン「レ・ザンバサドゥール (アンバサドゥール(英語版))」が開店。貴族、さらに1870年代から著名人や半社交界の貴婦人 (ドゥミ=モンデーヌ, Demi-mondaine 乃至クルチザンヌ) らの常連場所であった。オテル・ド・クリオン開館のすぐ後にアンバサドゥールもクリオン内に移転した。オテルはまた、フェミナ賞選考会場でもある。時を隔てた2017年、ホテルの大規模改装後は小さなバーとして再オープンした。ホテルは現在サウジアラビア王家関係者の所有。ちなみに、上記四つに分割された建物の内、ロワイヤル通り側のコワラン館 (Hôtel de Coislin) の現在の所有者はカタール王家関係会社。
  • ル・ロワイヤル・モンソー・ラッフルズ・パリ (Le Royal Monceau Raffles Paris
  • オテル・バルザック(Hôtel Balzac) - バルザック通り6番地にある。
  • オテル・エトワール・サントノレ(Hôtel Etoile Saint Honoré) - フォーブール=サントノレ通り214番地にある。
  • プラザ・アテネ(Plaza Athénée
    • モンテーニュ大通り25番地にあるホテル。ミシュラン星付き、アラン・デュカスレストラン・ガストロノミーク "アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ (Alain Ducasse au Plaza Athénée)" がある。また、同ホテルがあるシャンゼリゼ地区ないし"黄金の三角地帯 (fr)"周辺界隈は、ヤニック・アレノの "アレノ・パリ・オ・パヴィヨン・ルドワイヤン (Alléno Paris au Pavillon Ledoyen)" や"ラセール (Lasserre)" などの有名レストランが連なる。
  • オテル・ジョルジュ=サンク(フォーシーズンズ・ホテル・ジョルジュサンク・パリ, Hôtel George-V
    • ジョルジュ=サンク大通り31番地にある。クリスチャン・ル・スケール (fr)の"ル・サンク (Le Cinq)" など、ミシュラン星付きレストランが3店ある。
  • ヒルトン・パリ・オペラHilton Paris Opera) - サン・ラザール駅南側、サン=ラザール108番地にある。
  • オテル・ウォルドーフ・マドレーヌHôtel Waldorf Madeleine) - マドレーヌ寺院西側至近マルゼルブ大通り12番地に所在する。
  • ハイアット・パリ・マドレーヌHyatt Paris Madeleine) - マドレーヌ寺院西側至近マルゼルブ大通り24番地に所在する。

文化施設

théâtre des Champs-Elysées(Avenue Montaigne)

美術館・博物館

映画館・劇場

  • シャンゼリゼ劇場 (Théâtre des Champs-Élysées)
  • マドレーヌ劇場 (Théâtre de la Madeleine)
  • マリニー劇場 (Théâtre Marigny)
  • ロン=ポワン劇場 (Théâtre du Rond-Point)

その他

宗教施設

  • マドレーヌ寺院及びロワイヤル通り、コンコルド広場からの眺め
    マドレーヌ寺院及びロワイヤル通り、コンコルド広場からの眺め
  • 18世紀後半に建造されたサン=フィリップ=デュ=ルール教会 (Église Saint-Philippe-du-Roule)
    18世紀後半に建造されたサン=フィリップ=デュ=ルール教会 (Église Saint-Philippe-du-Roule)
  • サン=トーギュスタン教会 (Église Saint-Augustin), 2010年5月
    サン=トーギュスタン教会 (Église Saint-Augustin), 2010年5月
  • サン=トーギュスタン教会, 2008年3月
    サン=トーギュスタン教会, 2008年3月
  • サン=トーギュスタン教会の本堂身廊とパイプオルガン (La nef et les grandes orgues)
    サン=トーギュスタン教会の本堂身廊パイプオルガン (La nef et les grandes orgues)
  • サン=トーギュスタン教会のクワイヤ、及び内陣の祭壇とシボリウム (Le chœur, l'autel et un ciborium)
    サン=トーギュスタン教会のクワイヤ、及び内陣の祭壇とシボリウム (Le chœur, l'autel et un ciborium)
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教会・寺院

  • サン=トーギュスタン教会 (サン=オーギュスタン教会, Église Saint-Augustin)
    • 1860年建造。マルゼルブ大通り等が交差するサン=トーギュスタン広場 (Place Saint-Augustin) 界隈にある。サン=ラザール駅西側近くにある。
  • サン=フィリップ=デュ=ルール教会 (Église Saint-Philippe-du-Roule)
    • フォーブール=サントノレ通り154番地にある。
  • 贖罪礼拝堂 (シャペル・エクスピヤトワール、Chapelle Expiatoire)
    • フランス革命当時、国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットら王侯貴族をはじめ、"反革命派"とされた人々が最初に集団埋葬されたマドレーヌ墓地跡に建つ。復古王政後、ルイ18世によって設けられたルイ16世広場(ルイ16世小公園)に建立された。サン=ラザール駅南側近くにある。
  • マドレーヌ寺院 (マドレーヌ教会) (Église de la Madeleine)

観光・憩い

ロワイヤル通り (Rue Royal) 6番地にあった宝石店フーケ (fr)。1901年にアルフォンス・ミュシャによりアール・ヌーヴォー様式で装飾された。1923年に解体されたが、マレ地区カルナヴァレ美術館に保存されている。
Avenue Ferdousi(フェルドゥズィ通り)、モンソー公園

建築

  • エリゼ宮殿 (Palais de l'Élysée)
  • 凱旋門 (Arc de triomphe de l'Étoile)
  • グラン・パレ (Grand Palais)
    • もともとは、パリ万国博覧会 (1900年) の主要会場として建設された宮殿。現在、グラン・パレ国立ギャラリーなどがある。
  • プティ・パレ (Petit Palais)
    • もともとは、パリ万国博覧会 (1900年) の会場として建設された宮殿。宮殿内は、パリ市立美術館として使用されている。

公園・緑地等

名所・娯楽

  • クレイジー・ホース (Crazy Horse) - シャンゼリゼ通りとも至近のジョルジュ=サンク大通り12番地にある、芸術的スタイルのヌードショーがあるキャバレー

旧跡・記念碑等

交通

鉄道

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  • サン=ラザール駅前ガブリエル=ペリ広場
    サン=ラザール駅前ガブリエル=ペリ広場
  • サン=ラザール駅前の洪水, 1910年
    サン=ラザール駅前の洪水, 1910年
  • サン=ラザール駅からの線路帯
    サン=ラザール駅からの線路帯
  • メトロ ローム駅のギマール作出入り口
    メトロ ローム駅のギマール作出入り口
  • ローム駅出入り口とリセ・シャプタル
    ローム駅出入り口とリセ・シャプタル

道路

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  • クリシー広場界隈から南側サン=ラザール駅方面へ走るアムステルダム通りの光景 (Rue d'Amsterdam vue de la Place de Clichy)
    クリシー広場界隈から南側サン=ラザール駅方面へ走るアムステルダム通りの光景 (Rue d'Amsterdam vue de la Place de Clichy)
  • オスマン大通りを描いたギュスターヴ・カイユボット作 バルコニー (1880年) 
    オスマン大通りを描いたギュスターヴ・カイユボットバルコニー (1880年) 
  • ポルタリス通りから見たロシェール通り橋 ; 橋下からはマドリー通りが続く (Le pont de la rue du Rocher vu de la rue Portalis ; la rue de Madrid est celle qui passe sous le pont.)
    ポルタリス通りから見たロシェール通り橋 ; 橋下からはマドリー通りが続く (Le pont de la rue du Rocher vu de la rue Portalis ; la rue de Madrid est celle qui passe sous le pont.)
  • クールセル大通りから見るマルゼルブ大通りのトラム路(シャルル・マルヴィル (fr) 撮影, 1853-1870年)
    クールセル大通りから見るマルゼルブ大通りのトラム路(シャルル・マルヴィル (fr) 撮影, 1853-1870年)
  • マルゼルブ大通り沿い, パリの空の下と建物群の屋根
    マルゼルブ大通り沿い, パリの空の下と建物群の屋根
  • ジョルジュ=サンク大通り。背景は1881-1884年建造の米国聖公会の教会 (L'avenue George-V avec en arrière-plan la cathédrale américaine de Paris.) 
    ジョルジュ=サンク大通り。背景は1881-1884年建造の米国聖公会の教会 (L'avenue George-V avec en arrière-plan la cathédrale américaine de Paris.) 
  • オスマニアン建築のダリ風トロンプ・ルイユ。ジョルジュ=サンク大通り59番地の改装建物の工事用カバー。
    オスマニアン建築ダリトロンプ・ルイユ。ジョルジュ=サンク大通り59番地の改装建物の工事用カバー。
  • ジョルジュ=サンク大通り39番地のエルメス店鋪
    ジョルジュ=サンク大通り39番地のエルメス店鋪
  • モンテーニュ大通り (Avenue Montaigne)
    モンテーニュ大通り (Avenue Montaigne)
  • フォーブール=サントノレ通り (Rue du Faubourg-Saint-Honoré) のエルメス本店
    フォーブール=サントノレ通り (Rue du Faubourg-Saint-Honoré) のエルメス本店
  • ボエシー通り (Rue La Boétie) との角にあるフォーブール=サントノレ通りのサン=フィリップ=デュ=ルール教会 (L'église Saint-Philippe-du-Roule)
    ボエシー通り (Rue La Boétie) との角にあるフォーブール=サントノレ通りのサン=フィリップ=デュ=ルール教会 (L'église Saint-Philippe-du-Roule)
  • 早朝のロワイヤル通り (La rue Royale au petit matin.)
    早朝のロワイヤル通り (La rue Royale au petit matin.)
  • ボワシー=ダングラス通りとロワイヤル通りとの間にあるル・ヴィラージュ・ロワイヤル (Le Village royal, entres les rues Royale et Boissy-d'Anglas.)
    ボワシー=ダングラス通りとロワイヤル通りとの間にあるル・ヴィラージュ・ロワイヤル (Le Village royal, entres les rues Royale et Boissy-d'Anglas.)
  • レストラン・ラセール (Lasserre, 17 avenue Franklin-D.-Roosevelt)。アンテラリエ賞の選考会場でもある。同じ8区のオテル・クリヨンはフェミナ賞会場。その他日本でも有名なレストラン・ガストロノミークには、同8区のル・タイユバン (Le Taillevent, 15 rue Lamennais)、17区テルヌ広場傍にあるミシェル・ロスタン (Michel Rostang) のメゾン・ロスタン・・などがある。
    レストラン・ラセール (Lasserre, 17 avenue Franklin-D.-Roosevelt)。アンテラリエ賞の選考会場でもある。同じ8区のオテル・クリヨンはフェミナ賞会場。その他日本でも有名なレストラン・ガストロノミークには、同8区のル・タイユバン (Le Taillevent, 15 rue Lamennais)、17区テルヌ広場傍にあるミシェル・ロスタン (Michel Rostang) のメゾン・ロスタン・・などがある。
  • ジャン=グジョン通り (Rue Jean-Goujon)
    ジャン=グジョン通り (Rue Jean-Goujon)
  • ジャン=グジョン通りのアルメニア教会
    ジャン=グジョン通りのアルメニア教会
  • エトワール凱旋門至近のティルスィット通り (Rue de tilsitt)
    エトワール凱旋門至近のティルスィット通り (Rue de tilsitt)
  • ヴァグラム大通り34番地のセラミックス建物ファサード (La façade de Céramic Hôtel au 34 avenue de Wagram)
    ヴァグラム大通り34番地のセラミックス建物ファサード (La façade de Céramic Hôtel au 34 avenue de Wagram)
  • アムステルダム通り(Rue d'Amsterdam
  • ウィルソン大統領大通り(アヴニュ・デュ・プレジダン=ウィルソン, Avenue du Président-Wilson
    • 16区のシャイヨ宮前トロカデロ広場からイエナ広場経由、アルマ広場(フランス語版)まで東西に走る通り。かつて、第二帝政期、"皇帝(陛下)大通り"を構成する一部として整備された。
  • ウィンストン=チャーチル大通り(Avenue Winston-Churchill
  • オスマン大通り(Boulevard Haussmann
  • オッシュ大通り(Avenue Hoche
  • ガブリエル大通り(Avenue Gabriel
  • クールセル大通り(Boulevard de Courcelles
    • 8区北側、モンソー公園をなぞるように17区との境界線上を走る通り。東側でバティニョール大通りと名を変えクリシー広場まで続いてゆく。
  • クールセル通り(Rue de Courcelles
  • サントノレ通りRue Saint-Honoré
    • 1区から一部8区に差し掛かる。ロワイヤル通りを挟みフォーブール=サントノレ通りに続く通り界隈は、世界屈指の高級ブランド街となっている。中世後期以来、セーヌ川右岸(北岸)のパリ中心部を東西に走る通り。
  • サン=ペテルスブール通りRue de Saint-Pétersbourg
    • ウロップ広場(ヨーロッパ広場)とクリシー広場との間を結ぶ通り。
  • サン=ラザール通り(Rue Saint-Lazare
    • サン=ラザール駅界隈からサント=トリニテ教会エティエンヌ=ドルヴ広場(南側広場)を経由して、9区中心部ノートルダム=ド=ロレット教会広場(北側広場)に至る、主に9区内を東西に走る通り。ちなみに、サン=ラザール駅から東側、プランタン百貨店やギャルリー・ラファイエット、ガルニエ宮(オペラ座)北側界隈までの距離はそれぞれ数百メートル無い位置にある。
  • ジャン=グジョン通り(Rue Jean-Goujon
  • シャンゼリゼ大通りAvenue des Champs-Élysées
    • 8区内を左斜め上に走るパリの代表的な目抜き通り。北側をポンチュ通り (Rue de Ponthieu) 、下記フォーブール=サントノレ通りが並走する。
  • ジョルジュ=サンク大通り(Avenue George-V
    • アルマ広場から北側シャンゼリゼまで走る通り。シャンゼリゼ、下記モンテーニュ大通りに区切られた三角地帯は俗にラグジュアリーに関わる"ゴールデン・トライアングル (Triangle d'or)" と呼ばれている。通り沿いにはジバンシィ本社及び旗艦店があり、バレンシアガも本店を構える。ジョルジュ=サンクとシャンゼリゼとを繋ぐマルブフ通り (Rue Marbeuf) には、ヴェネチアレザーアイテムのベルルッティ (Berluti) 本店がある。
  • ジョルジュ=ポンピドゥー道路(Voie Georges-Pompidou
    • 16区と12区との間、パリのセーヌ川右岸(北岸)沿いを結ぶ高速路。8区内では、王妃の並木道 (Cours la Reine)、アルベール1世の並木道 (Cours Albert-Ier)、テュイルリー(河岸)通り (Quai des Tuileries) 等と並走する。
  • バティニョール大通りBoulevard des Batignolles
    • 8区北側を、モンソー公園をなぞるように17区との境界線上を東西に走るクールセル大通りの東側で、バティニョール大通りと名を変え同様に東西へ続いてゆく通り。8・9・17・18区境界地点クリシー広場まで続く。
  • バヤール通り(rue Bayard
  • ピエール=シャロン通り(Rue Pierre-Charron
  • ピエール=プルミエ=ド=セルビー大通り(Avenue Pierre-Ier-de-Serbie
    • 16区のシャイヨ地区、イエナ広場界隈から8区内に続き、交差するジョルジュ=サンク通りから先は、上記ピエール=シャロンと名を変えシャンゼリゼに向かう。名称はペータル1世 (セルビア王)から。
  • フォブール=サントノレ通り(Rue du Faubourg-Saint-Honoré
  • フランクラン=ローズヴェルト大通り(フランクラン=デラノ=ローズヴェルト大通り, Avenue Franklin-D.-Roosevelt
    • セーヌ河岸グラン・パレ西側、上記ポンピドゥー道路やアルベール=プルミエ(アルベール1世)の並木道が走るカナダ広場界隈を起点に北側へ、フランクラン・D・ルーズヴェルト駅がある円形広場のロンポワン・デ・シャンゼリゼを経由し、ポンティユ、コリゼ、ボエシー各通りと交差し、フォーブール=サントノレ通りまで至る。ロンポワン・デ・シャンゼリゼで、シャンゼリゼやモンテーニュ、マティニョン各大通り等と交差する。セーヌ川対岸7区へは、アンヴァリッド橋が繋ぐ。名称はフランクリン・ルーズベルトから。
  • フランソワ=プルミエ通り(Rue François-Ier
    • 上記フランクラン=ローズヴェルト大通り等のセーヌ側起点、カナダ広場界隈からシャンゼリゼを南側で並走する形で北西に向かう。上記シャンゼリゼとジョルジュ=サンク、下記モンテーニュ内の"ゴールデン・トライアングル" ゾーンを形成し、ディオールストアやニナ・リッチ辺りでモンテーニュと交差し、途中ドルチェ&ガッバーナジョン・ロブ、キャサリン妃やミシェル・オバマらが愛用するダイアン・フォン・ファステンバーグ (Diane von Fürstenberg)、トム・フォードクレージュやバルマン (Balmain) 本店、カルティエ、ジバンシィなどのブティックが軒を連ね、ブルガリがある辺りでジョルジュ=サンク大通りに突き当たる。また、ディオールやギ・ラロッシュ (Guy Laroche) 、パコ・ラバンヌ (Paco Rabanne) 等のメゾン本社がある。名称はフランス国王フランソワ1世から。
  • ボエシー通り(Rue La Boétie
  • マティニョン大通り(Avenue Matignon
    • 上記フランクラン・D・ルーズヴェルト駅があるシャンゼリゼ通りの円形広場ロンポワン・デ・シャンゼリゼを起点に、モンテーニュ大通りからひき続いて「くの字」状に南北を走る。ガブリエル、フォーブール=サントノレ大通り等と南北に交差し、交差するパンティエーヴル通り等から先はデルカセ、ペルシエ大通りと2回通り名を変えオスマン大通りに至る。
  • マドレーヌ大通り(Boulevard de la Madeleine
    • 8区マドレーヌ寺院東側から、1区北西側と9区南西側との右斜め上に伸びる境界線上、200〜300mの距離をガルニエ宮前オペラ広場まで走る。時に上記オスマン大通りも含め、カピュシーヌ、イタリアン、モンマルトル、ポワソニエール、ボンヌ=ヌーベル、サン=ドニ、サン=マルタン大通り等と共に"グラン・ブールヴァール (Les Grands Boulevards) "と括られる。途中、シャネル本店もあるカンボン通りやカピュシーヌ"通り"との交差点界隈でカピュシーヌ大通りと名を変え、オペラ方向に伸びてゆく。カピュシーヌ大通り、オペラ広場、イタリアン大通りにかけた通り沿いには、ゴーモン・オペラ映画やエドゥアールⅦ劇場、オランピア劇場モンパルナス駅前やシャトレ駅界隈サン=ドニ通り、8区内ではシャンゼリゼ沿いフランクラン=ローズヴェルト大通り、ローム通り、ヴァグラム大通り等、パリ各所にあるステーキレストランないしブラッスリーのイポポタミュ (Hippopotamus)、コンビニ モノップ (monop')、カルティエ、ラコステ、マージュ (Maje)、子供服のオカイディ(Okaïdi)・・等のフランスブランドからトミーヒルフィガーやZARAまである。
  • マリニー大通り(Avenue de Marigny
    • エリゼ宮殿至近、同通り7-23番地に迎賓館に用いられているマリニー館 (Hôtel de Marigny) がある。
  • マルゼルブ大通り(Boulevard Malesherbes
  • マルソー大通り(Avenue Marceau
  • モンテーニュ大通り(Avenue Montaigne
  • ローム通り(Rue de Rome
    • 17区内を東西に走るペレール大通りから「くの字状」に大きく曲がったところで接続し、南北に走るローム通りと名を変える。そのまま8区内東側を右斜め下に走り、途中、同様に区内を右斜め下に走るロンドル通りと交差し、8区南東側にあるサン=ラザール駅界隈まで続く通り。名称は「ローマ」の意。
  • ロワイヤル通り(Rue Royale
  • ロンドル通り(Rue de Londres
    • ルロップ広場から9区内サント=トリニテ教会まで走る通り。ルロップ広場からはコンスタンティノープル通りと名を変え、モンソー公園をなぞるように17区との境界線上を東西に走るクールセル大通り方面まで、8区内東側を左斜め上に走る。名称は「ロンドン」の意。
  • ヴァグラム大通り(Avenue de Wagram
    • エトワール凱旋門、シャルル・ドゴール広場から8区北西側17区との境界線上を走り、そのまま17区内中心部、マルゼルブやペレール大通り等が交差するヴァグラム広場まで走る通り。名称はナポレオン戦争期の「ヴァグラムの戦い」から。

橋梁

  • 7月14日のアルマ広場 (Place de l'Alma un 14 juillet, 2011.)
    7月14日のアルマ広場 (Place de l'Alma un 14 juillet, 2011.)
  • 旧アルマ橋とアルマ広場, 1890-1900年
    アルマ橋とアルマ広場, 1890-1900年
  • 1900年パリ万博。旧アルマ橋から, セーヌ川左岸7区を見る。
    1900年パリ万博。旧アルマ橋から, セーヌ川左岸7区を見る。
  • エッフェル塔から見る, アンヴァリッド橋, グラン・パレ, マドレーヌ寺院(背景の緑屋根建物)
  • ウジェーヌ・ガリアン=ラルー (Eugène Galien-Laloue), 冬のクリシー広場 Place de Clichy, en hiver (1941年)
    ウジェーヌ・ガリアン=ラルー (Eugène Galien-Laloue), 冬のクリシー広場 Place de Clichy, en hiver (1941年)
  • ウジェーヌ・グラッセ (Eugène Grasset), オリエンタルラグのインポート店ポスター "クリシー広場 À la place Clichy"
    ウジェーヌ・グラッセ (Eugène Grasset), オリエンタルラグのインポート店ポスター "クリシー広場 À la place Clichy"
  • ウジェーヌ・グラッセ, ア・ラ・ベル・ジャルディニエール (À la Belle Jardinière [12]) のカレンダー  "12月 Décembre" (1895年).
    ウジェーヌ・グラッセ, ア・ラ・ベル・ジャルディニエール (À la Belle Jardinière [12]) のカレンダー  "12月 Décembre" (1895年).
  • クリシー広場
    クリシー広場
  • ルロップ広場から見るリエージュ通り (Rue de Liège vue depuis la place de l'Europe.)
    ルロップ広場から見るリエージュ通り (Rue de Liège vue depuis la place de l'Europe.)
  • オスマン, マルゼルブ大通り等が交差するサン=トーオギュスタン広場
    オスマン, マルゼルブ大通り等が交差するサン=トーオギュスタン広場
  • オスマン大通り北側とモンソー公園南側との間, クールセル通り (Rue de Courcelles) 48番地, ジェラール=ウーリー広場のシノワズリースタイルの"紅のパゴッド"ことアートギャラリー「パゴダ・パリ (Pagoda Paris)」 (Pagode rouge, place Gérard-Oury - Paris VIII)
    オスマン大通り北側とモンソー公園南側との間, クールセル通り (Rue de Courcelles) 48番地, ジェラール=ウーリー広場のシノワズリースタイルの"紅のパゴッド"ことアートギャラリー「パゴダ・パリ (Pagoda Paris)」 (Pagode rouge, place Gérard-Oury - Paris VIII)
  • エッフェル塔から見るコンコルド広場
  • マドレーヌ広場, マドレーヌ寺院南側
    マドレーヌ広場, マドレーヌ寺院南側
  • 同広場, 同寺院東側
    同広場, 同寺院東側
  • マドレーヌ広場7番地
    マドレーヌ広場7番地
  • マドレーヌ広場11番地, バカラブティック
    マドレーヌ広場11番地, バカラブティック
  • ジャン・ベロー (Jean Béraud), マドレーヌからの帰路 Sortant De La Madeleine, Paris (制作年不明)
    ジャン・ベロー (Jean Béraud), マドレーヌからの帰路 Sortant De La Madeleine, Paris (制作年不明)
  • ウジェーヌ・ガリアン=ラルー (Eugène Galien-Laloue), パリ, マドレーヌの花市場(フラワーマーケット) Paris, Marché aux fleurs à la Madeleine (1910年頃)
    ウジェーヌ・ガリアン=ラルー (Eugène Galien-Laloue), パリ, マドレーヌの花市場(フラワーマーケット) Paris, Marché aux fleurs à la Madeleine (1910年頃)
  • ウジェーヌ・ガリアン=ラルー, マドレーヌ寺院 La Madeleine, Paris (1941年頃)
    ウジェーヌ・ガリアン=ラルー, マドレーヌ寺院 La Madeleine, Paris (1941年頃)
  • ラディスラヴ・バカロヴィッチ (英: Władysław Bakałowicz), マドレーヌの花市場 Marche aux Fleurs à la Madeleine (1913年以前)
    ラディスラヴ・バカロヴィッチ (英: Władysław Bakałowicz), マドレーヌの花市場 Marche aux Fleurs à la Madeleine (1913年以前)
  • モンテーニュ大通りの南側, ジャン=グジョン,フランソワ1世, バヤール通り等が交差するフランソワ1世広場
    モンテーニュ大通りの南側, ジャン=グジョン,フランソワ1世, バヤール通り等が交差するフランソワ1世広場
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セーヌ川に架かる区内の橋は、次のとおりである(上流から順に、つまり東西順に列挙)。

広場・交差点

パリの「広場(プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もある。8区の広場や交差点には、次のようなものがある。

  • ラ・レーヌ=アストリッド広場 (アストリッド王妃広場、Place de la Reine-Astrid
  • アルマ広場(Place de l'Alma
    • 8区、16区の境界に位置している。ダイアナ妃が亡くなったのはこの広場下のトンネルになる。
  • カナダ広場(Place du Canada
  • クリシー広場(Place de Clichy
    • 8区北東部、9区、17区、18区との境界に位置している。
  • コンコルド広場 (Place de la Concorde)
  • サントーギュスタン広場(Place Saint-Augustin
  • シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場, Place Charles-de-Gaulle (Place de l’Étoile))
    • 8区、16区、17区の境界に位置している。世界的に有名なエトワール凱旋門がある。
  • テルヌ広場(Place des Ternes
    • シャルル・ド・ゴール広場の北側至近、8区と17区の境界に位置している。フォーブール=サントノレ通り、クールセル大通り、ヴァグラム大通り、テルヌ大通りが交差する。ホテル・ルネッサンス・パリ凱旋門、カフェやブティック、和食店おかめ (Okamé)、パリ市内各所にあるブラッスリーイポポタミュ (Hippopotamus) ・・等がある他、高級ブラッスリー ラ・ロレーヌ (La Lorraine)、ミシェル・ロスタン (Michel Rostang) のレストラン・ガストロノミークメゾン・ロスタンなどが知られている。
  • レピュブリック・ドミニケーヌ広場(プラス・ド・ラ・レピュブリック=ドミニケーヌ, Place de la République-Dominicaine
    • モンソー公園の北側にある広場。8区と17区の境界に位置している。
  • ナルヴィク広場(Place de Narvik
  • フランソワ・プルミエ広場(Place François-Ier
  • プロスペル=グボー広場(Place Prosper-Goubaux
    • 8区と17区の境界に位置している。
  • マドレーヌ広場(Place de la Madeleine
    • マドレーヌ寺院が位置する、8区南東部にある広場。ロワイヤル通りを挟んでコンコルド広場に接続する。同広場3番地は、1967年にニノ・チェルティがオートクチュールメゾンのチェルッティ (セルッティ乃至チェルティ, Cerruti) を始めた地。4番地にはカミーユ・サン=サーンスが、7番地には第三共和政初期の首相ジュール・シモン (Jules Simon)、9番地にはジャン・コクトーが居住した。同9番地には、2017年6月に逝去したヌーベルキュイジーヌの鬼才アラン・サンドランスのレストランがある。11番地にバカラの、17番地にマリアージュ・フレールブティックがあり、18番地はかつてのクーチュリエ ルシアン・ルロン (Lucien Lelong) が1918-1924年、メゾンを開店していた地。
      同広場北側から、オペラ座北西界隈プランタン百貨店方面に向かうトロンシェ通り (Rue Tronchet) 沿いには、1968年同広場前の現在地で創業したランジェリーや水着専門店チェーンのエレス (Eres)、同ランジェリー専門店チェーンのオーバドゥ (Aubade)、H&M系列のアッパーブランド コス(COS)、ZARA系列の同アッパーブランドでロワイヤル通り側にも店舗を構えるマッシモ・ドゥッティ (Massimo Dutti) などがある。
  • リオ・ド・ジャネロ広場(Place de Rio-de-Janeiro
  • ルイ16世広場(Square Louis-XVI
    • またはルイ16世小公園。贖罪礼拝堂が建つ。オスマン大通り、マトゥーラン通り、パスキエ通り、アンジュー通りに挟まれた場所にある。サン=ラザール駅南側界隈にある。
  • ルロップ広場(ウロップ広場, Place de l'Europe
    • サン=ラザール駅の北側にある。
  • ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ(Rond-Point des Champs-Élysées
    • シャンゼリゼ、モンテーニュ、マティニョン、フランクラン・ルーズベルト等の各大通りが交差するロン・ポワン (円形広場)。グッチランセルアディダスストア、ザディグ・エ・ヴォルテールその他レストラン等が広場に面している。

船舶

著名な出身者

王族・貴族

財界

文化

著名な居住者

ルイ14世治世の時代、フランス式庭園を完成させたアンドレ・ル・ノートル。1680年
ジャポニスムの大きな影響があったベル・エポックの時代、日本の日傘をもつ舞台女優 (コメディエンヌ) サラ・ベルナール。1881年

王族・貴族・軍人

政治

シャンゼリゼ大通り界隈居住者
フォーブール・サントノレ通り界隈居住者
その他の通り界隈居住者

財界

学者

  • ジャック・フランソワ・エドワール・エルビュ(フランス語版)(医学者) - シャゼリゼ通り界隈居住

文学・芸術

シャンゼリゼ大通り界隈居住者
オスマン大通り界隈居住者
  • ルイ・ベルニエ(フランス語版)(建築家) - オスマン大通り144番地に居住
  • アンリ・ベルンスタン(劇作家) - 同157番地
  • ジュール・クラルティ(フランス語版)(劇作家、作詞家)
  • シュザンヌ・デヴォイヨッド(フランス語版)(女優) - 同130番地
  • マキシム・デュカンプ(フランス語版)(写真家) - 同82番地
  • マルセル・プルースト(小説家、『失われた時を求めて』) - 16区オートゥイユ界隈生まれ。マルゼルブ大通り9番地、オスマン大通り102番地に居住。晩年1919-22年の間亡くなるまで、プラークが掲げられている16区ラミラル=アムラン通り (Rue de l'Amiral-Hamelin) 44番地に居住。
  • アンドレ・メサジェ(作曲家) - 同157番地に居住
  • ギュスターヴ・カイユボット(画家) - マルゼルブ大通りとオスマン大通りに挟まれた、ミロメニル通りとリスボンヌ通り界隈に居住。
フォーブール・サントノレ通り界隈居住者等
詳細は「fr:Rue du Faubourg-Saint-Honoré」を参照
モンテーニュ大通り界隈居住者等
詳細は「fr:Avenue Montaigne」を参照
  • マドモワゼル・ロークール(フランス語版)(18世紀後半の舞台女優(コメディ女優)) - モンテーニュ通り界隈に居住。
  • マレーネ・ディートリッヒ(歌手、女優) - 1980年-1992年の間、亡くなるまでプラザ・アテネ向かいモンテーニュ通り12番地に居住。
マルゼルブ大通り界隈居住者
その他の通り界隈居住者

その他

ゆかりの人物

王侯貴族

  • ダイアナ妃(元イギリス皇太子妃) - 1997年、8区モンテーニュ大通り至近、8区と16区境界上のアルマ広場(Place de l'Alma)下のトンネルで亡くなる。

文化

芸能

  • アベル・ガンス(映画監督、俳優) - 18区生まれ。リセ・シャプタルに通った。晩年、居住し亡くなった地は16区

8区を舞台にした作品

映画

脚注

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  1. ^ フランス語の 「8e 」 = 「huitième 」 は、英語の「eighth 」 に相当する序数。「第8の」 「8番目の」を意味する。したがって、原語の「8e arrondissement 」を直訳すると「第8区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ セーヌ川の右岸にあたる。
  4. ^ “Scandalous tales from the British embassy in Paris”. BBC News. (2014年10月20日). https://www.bbc.co.uk/news/magazine-29643065 
  5. ^ ジェトロ パリ事務所 公式HP
  6. ^ フランス語で、オートクチュールの性格を美容院に置き換えたような"高級美容院"の意。また、ウィンザー公爵夫人グレース・ケリーモナコ大公妃、ローレン・バコールミシェル・モルガンマリア・カラスグレタ・ガルボオードリー・ヘップバーンソフィア・ローレンロミー・シュナイダー・・らが顧客だったとのこと。2016年から日本の八木通商の所有ブランド(仏公式HP「Alexandre de Paris」などを参照)。
  7. ^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』 JTBパブリッシング、2006年、p.239.
  8. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.343.
  9. ^ 1920年パリ創業の老舗ファーメゾン (Yves Salomon)。老舗ファーブランドのルヴィヨン (Revillon Frères) も取り扱う。サントノレ通りやフォーブール=サントノレ通りにも店舗を構える。
  10. ^ “ST Dupont ouvre une boutique rue de la Paix”. MONTRES DE LUXE (2018年10月17日). 2019年3月7日閲覧。
  11. ^ “1967 Avenue Montaigne”. emanuel ungaro.com (2016年). 2019年3月7日閲覧。
  12. ^ 美しき女庭師の意。1824年創業、縫製工場が付属した衣服店、乃至ボン・マルシェ百貨店より古い世界最古の百貨店ともされる。現在のパリ1区ポン=ヌフ通り(fr)とクリシー広場等に店舗があった。
  13. ^ Laure Hillerin, « La duchesse de Berry, people avant l'heure », émission Au cœur de l'histoire sur Europe 1, 14 mai 2013、
    Première entrevue de S. A. R. la duchesse de Berry avec la famille royale le 15 juin 1816 à Fontainebleau
  14. ^ のちに、同8区ラブレ通り(フランス語版)2番地のジョッケクルブ(フランス語版)に統合された。
  15. ^ パリ市立公文書館、死亡証明書番号1598, 1907年
    Paris 8e, acte de décès no 1598, année 1907 (page 12/31) Archives de Paris
  16. ^ Danièle Prévost, Sarah Bernhardt chez elle à Paris, Soc. hist. des 8 et 17 arrondissements, mai 2021, n° 151, p. 7.
    Le livre des courtisanes. Archives secrètes de la Police des mœurs (1861-1876), introduction, notes et répertoires par Gabrielle Houbre, Paris, 2006.
  17. ^ Sarah Bernhardt, Ma double vie. Mémoires, Paris, E. Fasquelle, 1907, p. 354, online
  18. ^ « 21, rue de Clichy », eve.daumas.pagesperso-orange.fr.
  19. ^ Blandine Chavanne, Joy Newton, Sophie Harent et Michèle Leinen, Méry Laurent, Manet, Mallarmé et les autres p.70, Réunion des Musées Nationaux,‎ (ISBN 978-2-85495-221-6).
  20. ^ Félix de Rochegude, "Promenades dans toutes les rues de Paris. VIIIe arrondissement", Paris, Hachette, 1910. p28
  21. ^ Félix de Rochegude, Promenades dans toutes les rues de Paris. VIIIe arrondissement, Paris, Hachette, 1910. (op. cit., p. 64).
    André Becq de Fouquières, Mon Paris et mes Parisiens. Le quartier Monceau, Paris, Pierre Horay, 1954, vol. II. (op. cit., p. 105).
  22. ^ André Becq de Fouquières, Mon Paris et mes Parisiens. Le quartier Monceau, Paris, Pierre Horay, 1954, vol. II. (op. cit., p.117.)
    "C'est là que la courtisane, encore au début de sa carrière, prit le nom de « Cora Pearl ». Elle y habitait un appartement qu'elle partageait avec une amie, Mlle Carole Hassé."
  23. ^ パリ19区にあるパリ市立公文書館の戸籍-死亡証明書番号750 (Archives de Paris : État civil - Acte de décès no 750. Cote du Registre : V4E 7324. Archives de Paris, 18 boulevard Sérurier, 75019 Paris.)
  24. ^ Acte de naissance no 2179 (p. 6), registre des naissances de l'année 1875, mairie du 5e, sur le site des archives numérisées de la Ville de Paris.
  25. ^ Yannick Ripa, « Cléo de Mérode ou la mauvaise réputation », L'Histoire no 455, janvier 2019, p. 68-71.
  26. ^ “Portrait de Picasso, Paris, studio du 29, rue d'Astorg” (フランス語). www.centrepompidou.fr. Centre Pompidou. 2020年3月26日閲覧。
  27. ^ “29 rue d'Astorg” (フランス語). www.centrepompidou.fr. Centre Pompidou. 2020年3月26日閲覧。

参考文献

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目

外部リンク

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