簡子内親王
簡子内親王(かんしないしんのう、? - 延喜14年4月10日(914年5月7日))は平安時代前期の皇女。光孝天皇の親王時代に第二王女として誕生、母は班子女王。宇多天皇と同腹。
貞観19年(877年)正月3日陽成天皇の即位式に際し褰帳の女王を務め、従四位下に叙せられた。寛平3年(891年)12月29日忠子・綏子・為子ら同母の姉妹三人とともに内親王宣下。延喜14年(914年)4月10日薨去[1]。
脚注
参考資料
内親王(飛鳥時代 - 江戸時代) | |||||
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大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 | |||||
飛鳥時代 | |||||
奈良時代 | |||||
平安時代 |
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鎌倉時代 | |||||
南北朝時代 |
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室町・ 安土桃山時代 |
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江戸時代 | |||||
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