華覈

華 覈(か かく、219年 - 278年)は、中国三国時代の呉の政治家。字は永先(『建康実録』では永光)。揚州呉郡武進県の人。

生涯

政治手腕に優れていたため、上虞県尉を務めていたとき、その治世に大きな功績を挙げている。この功績をきっかけにして、典農都尉・秘府郎・中書丞と昇進を続け、呉末期の重臣の一人となった。

永安6年(263年)、魏が蜀漢を滅ぼしたとき(蜀漢の滅亡)、孫休に対して魏に警戒するよう進言した。

元興元年(264年)、孫休死後に孫晧が即位すると、徐陵亭侯に封じられた。国政の方針や人材登用などで孫晧から重用され、多くの臣下達が粛清される中で、孫晧の不興を買うこともなく、長く仕え続けた。

華覈は人物眼に優れていたため、孫晧に多くの有能な士を推挙する一方で、孫晧に百通を超える上奏文を奉っている。また文学的才能にも優れており、孫晧の要望もあったため東観の令を任された。『呉書』(『三国志』の呉書とは別)の編纂を命じられた韋昭とは親友で、自身も右国史に任命され『呉書』の編纂に協力した。後に、韋昭が孫晧の怒りを買って処刑されることになったとき、その処刑に最後まで反対したが、救うことはできなかった。

天冊元年(275年)、孫晧からを討伐すべきかどうかを問われたため、これに対し「晋は強大国ゆえ、今は自重あるべし」と慎重論を述べた。しかしこのことで、晋を攻撃しようと躍起になっていた孫晧の怒りを買ってしまい、華覈自身も政治の場から遠ざけられることになった。天紀2年(278年)、失意の内に死去したという。

参考文献

脚注

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陳寿撰 『三国志』 に立伝されている人物および四夷
魏志
(魏書)
巻1 武帝紀
巻2 文帝紀
巻3 明帝紀
巻4 三少帝紀
巻5 后妃伝
巻6 董二袁劉伝
巻7 呂布臧洪伝
巻8 二公孫陶四張伝
巻9 諸夏侯曹伝
巻10 荀彧荀攸賈詡伝
巻11 袁張涼国田王邴管伝
巻12 崔毛徐何邢鮑司馬伝
巻13 鍾繇華歆王朗伝
巻14 程郭董劉蔣劉伝
巻15 劉司馬梁張温賈伝
巻16 任蘇杜鄭倉伝
巻17 張楽于張徐伝
巻18 二李臧文呂許典二龐
閻伝
巻19 任城陳蕭王伝
巻20 武文世王公伝
巻21 王衛二劉傅伝
巻22 桓二陳徐衛盧伝
巻23 和常楊杜趙裴伝
巻24 韓崔高孫王伝
巻25 辛毗楊阜高堂隆伝
巻26 満田牽郭伝
巻27 徐胡二王伝
巻28 王毌丘諸葛鄧鍾伝
巻29 方技伝
巻30 烏丸鮮卑東夷伝

(蜀書)
巻31 劉二牧伝
巻32 先主伝
巻33 後主伝
巻34 二主妃子伝
巻35 諸葛亮伝
巻36 関張馬黄趙伝
巻37 龐統法正伝
巻38 許糜孫簡伊秦伝
巻39 董劉馬陳董呂伝
巻40 劉彭廖李劉魏楊伝
巻41 霍王向張楊費伝
巻42 杜周杜許孟来尹李譙
郤伝
巻43 黄李呂馬王張伝
巻44 蔣琬費禕姜維伝
巻45 鄧張宗楊伝
呉志
(呉書)
巻46 孫破虜討逆伝
巻47 呉主伝
巻48 三嗣主伝
巻49 劉繇太史慈士燮伝
巻50 妃嬪伝
巻51 宗室伝
巻52 張顧諸葛歩伝
巻53 張厳程闞薛伝
巻54 周瑜魯粛呂蒙伝
巻55 程黄韓蔣周陳董甘淩
徐潘丁伝
巻56 朱治朱然呂範朱桓伝
巻57 虞陸張駱陸吾朱伝
巻58 陸遜伝
巻59 呉主五子伝
巻60 賀全呂周鍾離伝
巻61 潘濬陸凱伝
巻62 是儀胡綜伝
巻63 呉範劉惇趙達伝
巻64 諸葛滕二孫濮陽伝
巻65 王楼賀韋華伝